御室御所と小田原

今から1000年以上前、京都洛北の御室にある御所・仁和寺(888年仁和2年)は第59代天皇の宇多法皇により建立されました、花を愛され、慈悲の気持を伝える「いけばな御室流」。天皇や公家が代表して花に想いを込め、神や仏に国家や国民の安寧や幸福を願う。我が国日本を代表する文化が我が社「おむろ」に根付く遺伝子です。

 
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仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。
皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称された。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。
御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。当寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもある。
普段は境内への入場は無料であり、御殿・霊宝館の拝観のみ有料となる。ただし、御室桜の開花時(4月)に「さくらまつり」が行われ、その期間は、境内への入場にも拝観料が必要となる。仁和寺の写真

 

江戸時代の第119代光格天皇(在位:1780年 1月1日~1817年5月7日)は、中世以来絶えていた朝儀の 再興、朝権の回復に熱心であり、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価され ている。その時代の京都所司代に赴任したのが小田原藩の大久保忠真侯である。御室と小田原.pdf

いけばなって・・・・・

●自然にある花を摘み、器に生けることが「いけばな」です。
自然のはかない花をいかにどのように生かすかが大切です。いかにどのようにということが床の間に置くとか、いけばな展の会場に置くとか、いろいろ有り、その活け方もその時代時代にふさわしいものとして常に変様しています。
●仏前にはなを供える「供花」に始まる、飛鳥期、奈良期、の神が気に宿る考え。
●平安期では、花瓶のようなものに花をいけられ、「源氏物語」「栄華物語」や「百人一首」が読まれている。
59世宇多天皇(在位887~897)は、御室御所仁和寺にて(~931)にて営んでいます。

●鎌倉期(1185~)の「花合わせ」、室町期(1336~)の書院造りにより、「床の間」、「違い棚」がうまれ、「唐もの」と呼ばれる中国からの渡来の珍しい具や器ものが飾られ、唐ものの青銅の花瓶にはなをたてる「立て花」が盛んになりました。
●室町期では、将軍家には、芸能や唐ものを伝える同朋衆と呼ばれる人々が仕え、室礼を行っていました。また同朋衆のほかに六角堂の僧・池坊などの「立て花」に優れたものが現れます。
●安土期(1573~)は戦国時代が終わり、茶の湯の隆盛と茶室建築、兵農分離などもおこなわれ、豪華な障壁画などの雄大な文化。

●江戸期(1603~)になると「立花」は、公家、武士、僧侶、上方の商人により広まり、大成されていきます。
一方17世紀末ごろより、「茶の湯」の流行にともなり「なげいれ花」 という新らしいいけばながより親しみやすい花として町人社会で行われるようになってきました。
●18世紀になると多くの芸能の中心は上方から江戸へ移り、床の間も町人の家に設けられ、なげいれ花よりも格式のある 花が求められ、花では「生花(格花)」と呼ばれる分野が生まれて、より広く民衆の間で愛好されるようになります。
●明治維新(1868)以降に入ると、洋風化に伴い、大正期(1912~)「盛花」とうが生まれ、シュウリアリズム運動等の美術とともに前 衛いけばな等が行われ、安達流、小原流、草月流等の新らしい流派が生まれていきます。
●太平洋戦争後(1945~)、焼き残ったウインドウなどに華が活けられ、早く、いけばなが大衆の気持ちをつかみ、昭和40年頃に日本いけばな芸術協会等が設立し、今日にいたる。
●いけばなの文化を語るのに、ある作家が「心に花を託すと同時に花の中にすでに人間があるということ見抜いてきた文化」と言い、人間のさまざまな心の形を持って咲き続け、それらの自然の花は、その瞬間を切り取られ、そこに心が浮かび、自然が花が蘚る。これを繰り返し、自然と人の密度の濃いの関係を築きあえてきたのでしょう。     
いけばな史.pdf

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華道(かどう)とは、草花や樹木などの植物材料を組み合わせて構成し、鑑賞する芸術であるいけばなに、道としての側面を加えたもの。日本発祥の芸術で、国際的に広がっていると言う人もいる。
花道とも表記し、またいけばなとも呼ばれる。 ただし「華道」という呼称には「いけばな」よりも求道的側面が強調されている。
さまざまな花材をいけるが、そのいけ方は華道流派によって異なる。例えば、見る方向は正面と定められている流派も多くあり、3次元の空間を、2次元で最大限に表す流派もある。これは日本絵画の表現方法にも通じる。欧米のフラワーデザイン(en:Floral Design)は、3次元のどこから見ても統一したフォルムが感じられるように生けると言われている。また、日本のいけばな・華道では、色鮮やかな花だけでなく、枝ぶりや木の幹の美しい表情、葉や苔まで、自然植物すべてを総じて「はな」と呼び鑑賞するのも、海外のアレンジの概念とは一線を画す。
■華道以前 
華道は、仏教の伝来と発展に伴い、仏前に花を手向ける供花に由来するという説が有力である。
だが、採取した植物材料を人間の知の監督下である空間にて再構成する行為に、古代のアニミズムの流れを指摘する研究もある。動物と異なり、切り落としても適切に処置すれば溌剌とした生命力を漲らせる植物になんらかの神秘を見たとしても、それは不思議なことではないであろう。それは常緑樹信仰にも通じ、人間の手の及ばない神秘の力を、花器の上で包括的に管理してしまおうとする試みであったかもしれない。
今日、「華道」といえば江戸時代後期、文化文政の時代に流行した生花、挿花のことを指すことが多い。


■活けた花を愛でる歴史

一輪挿しなどに挿した花を愛でる習慣は、古くは平安時代あたりまで遡り、たとえば『枕草子』などの文献資料からたどることができる。当初は既存の器を利用していたが、後に専用の花器が製作されるようになった。
華道としては、室町時代中期、京都六角堂の僧侶により確立された。代々池のほとりに住まいしていたことから「池坊」と呼ばれ、それがのちに流派の名前となる。家元、宗家らによって江戸時代中期にかけて立花(たちばな、りっか; 「立華」とも書く)と呼ばれる型が大成されていった。その後、江戸中期から後期になるとそれまでの上流階級・または武家階級のものから広く庶民のたしなみへと変化し、生花(しょうか、せいか)を中心に広く愛された。とくに未生流系、古流系、遠州系などの流派は技巧の達人・名手が多く登場し、多くの流派にわかれていくきっかけとなる。江戸末期から明治初期の頃、世界的なニッポン文化ブームにより華道・いけばなが欧州に紹介され、ヨーロッパのフラワーデザイン(en:Floral Design)にラインアレンジメントの手法として影響を与えた。国内ではやがて花姿は時代の流れに即し、なげいれ花、盛花(もりばな)などさまざまな型が編み出された。
江戸時代以降、池坊から枝分かれして多くの流派が誕生した。2005年3月現在、その数は日本いけばな芸術協会に登録されているだけで約300流派ある。(2017年度296流派4099名の会員)

現代いけばな華飾り考

しつらいというのは、しつらえることで、設け整える、飾りつけのことです。
江戸時代の様式の格花は原則として、床の間の床に飾るもので、どのように飾られるのかが、格花のしつらいとなります。
床があり、その隣に違い棚や書院がついている形式の座敷が生まれたのは江戸時代からで、この床のもとは草庵茶室の床が一般座敷に取り込まれてからで、それまでの古い床の間では板敷で間口も二間半から三間と広く背後の壁は土壁でなく絵が描かれた押板床でした。
1400年前後のこの頃は中国の宋元の絵画が日本に移入され、それを飾る場所として生まれたとされ、中国の茶碗.香炉.香合.花瓶.燭台の唐物の美術工芸品が渡来し、それらを違い棚や書院の机にならべられ鑑賞され、三具足等の飾り方が「君台観左右帳記」に記され花瓶に花がさされ、床飾りとしての鑑賞にたえるものとなっていきます。
 

  「座敷は躰、花は用也」という言葉のように座敷は入れ物、その中の働きを示すのがいけばなと考えられ、いけばなは床飾りの重要な役割をもつものとされました。 
「抛入花伝書」1684によれば、掛け軸に朱の美しい牡丹の絵が描かれていたところから、その一幅を前にして竹の花入れをおき、シャガの葉の三枚を流しいれ、絵の牡丹に取り合わせたとあり、その他に、桜に春霞 のかかった絵の掛け軸の前に青磁の花器に水ばかりを入れて配した、いづれにしても大切にされたのは掛け軸との相応です。

格花は床の間の床飾りとして、床空間、あるいはそこに掛けられてる軸、さらに置物などとの調和配合といったところに演出工夫の妙味を発揮するのがしつらいの原理であり、格花を単なる花の美を鑑賞するにとどめず、床の間で鑑賞すべくしてうまれたものであることを認識し、さらに座敷での相応の大切さを認識しておきたいものです。
そして、さらに今、周りにある環境との相応もいけばなの美学の始まりなのです。
茶道はおいしくお茶を飲むということはもちろんのことですがお茶点てる人は , 客のために心をくだきます。そのために門から庭、露地、室内と掃除をし、お茶を飲むための道具も、相手好みや季節などに合わせ茶碗,茶入れ、水差しに、・・・

・日本人であることの意と日本文化の大切にし、身近にと考える日本人への啓蒙とメッセージ、 床の間の掛け軸、室内に飾る花などんの道具立てまで、心をおよぼした上に、心を込めて点てます。
服のお茶を賞味し、道具を賞玩し、その席でただひとつのいのちあるもの、花を鑑賞する。そこに客は、亭主また主催者の心づかいと自然の息吹きを感じとる。茶の湯の席や会席で季節を重んじ大切にするが、最も端的にあらわすのが花である。この席いわゆる別世界の遊びを実現するために花の取り合わせや道具としての花入れ等・・・ここに演出がある。
茶人は多くツバキやムクゲが好まれて使われるが古銅や青磁の真の格の花入れに野の雑木の花を調和させようとする「花は野にあるように」ということなのか。

 

 
杉﨑宗雲は、いけばな、Design、などの文化芸術のアートディレクション・ブランディングなどを手がけます。<現・小田原城アートNOW>
 
華道家:http://www.kadouka.jp/
会社名:㈲おむろアカデミー 
住 所:小田原市蓮正寺124-2 〒250-0865
設 立:1968年11月
 ☎ :0465-38-0663 Fax :0465-38-0660
メール :<杉﨑>0663@omuro-net.com
 HP :<会社>http://www.print-ichiba.jp/ 

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